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すずめの戸締まり草太のセリフ最後の言葉と祝詞の全文は?意味や元ネタを考察!

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すずめの戸締り草太のセリフ最後の言葉と祝詞の全文は?意味や元ネタを考察!

すずめの戸締りの映画で印象に残るシーンのひとつに、草太のセリフがあります。

声優をつとめているSixTONESの松村北斗さんの、少し押さえた声の調子がどこまでもかっこいいですし、現代日本語にはない言い回しや語感も魅力的ですね。

草太が上げる祝詞やセリフって、すずめの戸締まりという映画を理解するのに欠かせないものような気がします。

祝詞の全文や意味、または元ネタが何かということを知りたいって方も多くいらっしゃるのではないでしょうか?

そこでこの記事では、映画すずめの戸締りでの、草太のセリフや最後の言葉祝詞の全文、意味や元ネタなどをご紹介します。

すずめの戸締りを楽しむ際の参考にしていただければ幸いです。

それにしても、草太のセリフって奥が深いですよね。

最後のセリフ以外にも、物語の鍵となるセリフが潜んでいて、閉じ師としての自分の人生を納得しきれてないのかな?という印象を持つこともあります。

映画を見た後に小説を読めば、より草太のセリフの意味に深みが増します。

ぜひ読んでみてくださいね!

すずめの戸締り草太のセリフ最後の言葉と祝詞の全文は?

すずめの戸締り草太のセリフ最後の言葉と祝詞の全文は?意味や元ネタを考察!

すずめの戸締り草太のセリフ最後の言葉は?

物語の最後、東京に向かう電車のホームで、すずめと草太は話をします。

その時、草太はすずめに、二人で一緒に東京に戻るのでなく、すずめと別れて自分一人で帰ることを伝えました。

その時のセリフがこちらです。

「人の心の重さが、その土地を鎮めてるんだ。それが消えて後ろ戸が開いてしまった場所が、きっとまだある」
「戸締まりしながら、東京に戻るよ。」

「人の心の重さがその土地を鎮めている」とはどういうことでしょうか?

物語の中では、使われなくなった学校や遊園地、いわゆる廃墟に災いの元となる後ろ戸がありました。

かつては、人々の楽しい笑い声や思い出を育んだ場所でしたが、そのうちに人出が少なくなったことから廃墟と化し、負のエネルギーが貯まっていく。

「閉じ師」である草太は、「かけまくしもかしこき日不見(ひみず)の神よ。」という祝詞を唱えながら、それらの土地を確認し戸締りをしながら東京に帰ると言っています。

人間が自分たちの都合で神様からお借りし開発した土地を、その用途がなくなった時にそのまま放置せず、役目を終えたことにきちんと感謝して、土地の神様にお返しする。

「閉じ師」の仕事を全うしようとする草太はかっこいいですね。

すずめの戸締り草太のセリフ祝詞の全文は?

この映画では、すずめと草太が、後ろ戸の扉に鍵をかける時の「お返し申す!」という台詞が印象的ですよね。

後ろ戸の鍵を閉めるときに、草太の唱える祝詞はこちらです。

かけまくしもかしこき日不見(ひみず)の神よ。
遠つ御祖(おみや)の産土(うぶすな)よ。
久しく拝領(はいりょう)つかまつったこの山河。
かしこみかしこみ謹んで、お返し申す。

この祝詞は、二人がはじめに閉めた宮崎の後ろ戸だけでなく、猫のダイジンに導かれ、閉じることとなった日本各地の後ろ戸を閉じるときにも唱える祝詞です。

現代語訳にすると次のようになります、

おそれ多く目にすることのできない神よ
遠い祖先が生まれたこの土地よ
長くお借りしていたこの山河を
謹んでお返しいたします

なお、物語の最後、すずめが生まれた場所の近くにあり、幼かったすずめが迷い込んでしまった常世に通じる扉を閉める時には、この祝詞に加えて、次のようなセリフが加わります。

命がかりそめだとは知っています
死は常に隣にあると分かっています
それでも私たちは願ってしまう
いま一年、いま一日、いまもう一時(いっとき)だけでも、私たちは永らえたい!
猛(たけ)き大大神(おおおおかみ)よ!
お頼(たの)み申(もう)します!

人間の生へのを願いを代弁する強いセリフですね。

すずめの戸締り草太の最後のセリフ祝詞の意味や元ネタを考察!

すずめの戸締り草太のセリフ最後の言葉と祝詞の全文は?意味や元ネタを考察!

すずめの戸締り草太の最後のセリフの意味は?

すずめと別れる時に駅のホームで、草太はすずめに言ったセリフにはどのような意味があるのでしょうか?

「人の心の重さが、その土地を鎮めてるんだ。それが消えて後ろ戸が開いてしまった場所が、きっとまだある」
「戸締まりしながら、東京に戻るよ。」

このセリフの「後ろ戸が開いてしまった場所」には、二つの意味があると思います。

「廃墟」「人がなかったものにしようとしている思い」です。

すずめと草太が閉じた後ろ戸は、かつては人が集まり活気のあった場所で今は廃墟と化してしまった場所にありました。

扉を閉じる時に聞こえてきた活気があった時の声や賑やかさが「人の心の重さ」です。

一方、「人がなかったものにしようとしている思い」というのは、すずめが心の中でふたをしていた母を求める気持ち、心の傷のようなものです。

すずめは東日本大震災で母親をなくしました。

すずめと環さんは、そのつらい事実をなかったことととして長い時間を過ごしたため、東北へ向かうパーキングエリアでお互いへの不満が噴出してしまいました。

人の心の場合は、「つらい事実に向き合うこと」こそが、自分の心の重さであり、最終的に自分の心を鎮めていくということなのだと思います。

廃墟であれば、閉じ師である草太は戸締りをすることができます。

教員になることを夢見ながらも教員試験を受けなかった草太。

もしかしたら、草太にも向き合わなければいけない過去や現実があるのかもしれませんね。

すずめの戸締り草太の最後の祝詞の意味元ネタは?

新海監督によると、草太の祝詞の元ネタは特にないそうです。

いわゆる祝詞について簡単に調べたうえで、監督自身で考えた台詞です。

新海監督の説明では、ヒミズの神というのは、「火と水」「日不見⇒日が見えない」「地下にいるミミズ」のことを表していて、大きくは「大地そのもの」だそうです。

それに続く、産土も先祖代々の土地という意味。

つまり、この祝詞が意味することは、

ずっと人間が借りていた土地ですが、人がいなくなってしまったのでこの土地を使うことができなくなってしまいました。
あなたたちにお返しします。
だから、大地よ静まってください。

という大地への感謝と鎮魂なわけです。

また、東北の後ろ戸を閉めた際には、いつもの祝詞に加え、

命がかりそめだとは知っています
死は常に隣にあると分かっています
それでも私たちは願ってしまう
いま一年、いま一日、いまもう一時(いっとき)だけでも、私たちは永らえたい!
猛き大大神(おおおおかみ)よ!
お頼み申します!

という台詞があります。

ここには、どんな経験をしようとも、私たちは生きていきたいと願っている、という人の生への強い願いを神様へお願いしているのだと思います。

すずめの戸締り草太のセリフ最後の言葉と祝詞の全文は?意味や元ネタを考察!まとめ

すずめの戸締り草太のセリフ最後の言葉と祝詞の全文は?意味や元ネタを考察!

この記事では、すずめの戸締りの草太のセリフ最後の言葉と祝詞の全文、意味や元ネタを考察しました。

すずめの戸締りをみていて、草太の祝詞や最後のセリフってとても印象に残りますよね。

祝詞の全文や意味、元ネタがわかると、より物語を楽しめると思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました!